MJG2011 展示 連動企画 CD JACKET DESIGN in JAPAN special long interview

信藤三雄(信藤三雄事務所)

僕は本当に音楽馬鹿だから 音楽を抜きにしてデザインを語ることはできない

 松任谷由実、ピチカート・ファイヴ、Mr.Children、MISIA、宇多田ヒカル、GLAYなどこれまでに1000枚に迫るジャケットのデザインを手掛けてきた信藤三雄。世界で初めてCDの透明トレイをデザイン的に使ったように、CDというパッケージを立体的にとらえた手法でも、CDジャケットのデザインを進化させてきた。言わば信藤三雄のデザインの歩みが、そっくりそのまま日本のCDジャケットの歴史となっているのだ。
 ここではジャケットのデザインを手掛けるようになった経緯から、制作手法、アーティストとのエピソード、過渡期にあるCDデザインの在り方等を語ってもらった。そして、自らを“音楽馬鹿”と呼ぶ程愛情を傾ける音楽とジャケットデザインへの思いも。

信藤三雄(信藤三雄事務所)

プロフィール

PROFILE

信藤三雄(信藤三雄事務所)

アートディレクター、映像ディレクター、フォトグラファー、書道家、演出家、空間プロデューサー

 86年、コンテムポラリー・プロダクション設立。松任谷由実、ピチカート・ファイヴ、Mr.Children、MISIA、宇多田ヒカルなど、これまで手掛けたレコード&CDジャケット数は1000枚にせまる。その活躍はグラフィックデザインにとどまらず、映画、ミュージック・ビデオ、CM等の映像作品、及びステージ演出、店舗ディスプレイのディレクション等々多岐に渡る。
 また、SOCIAL WORKとして、05年ほっとけない世界のまずしさ“ホワイトバンド”キャンペーン、プロジェクト・レッド(モトローラ)で、映像ディレクター、及びグラフィックデザイン等を務めたのを始め、08年には、途上国の子供たちへの教育支援を目的とした「Child AFRICA」の立ち上げに協力し、さらに広い視野に立ち、より良い世界作りを目指して2010年に設立された「一般財団法人mudef」の理事を務めている。国際生物多様性年であった2010年、国連・環境省の為の生物多様性キャンペーンポスター、イメージビデオ各種を制作した。また、坂本龍一氏が顧問をつとめる「FreePets~ペットと呼ばれる動物たちの生命を考える会」のメンバーでもある。
 2011年、株式会社信藤三雄事務所設立。

信藤三雄

インタビュー・構成:山本 貴政 (Coa Records) / 撮影:本多元

突然やってきたユーミンからの依頼。ピチカート・ファイヴの小西康陽とのマジックがかかった出会い。毛皮のマリーズのデザインで再認識したジャケットが持つ威力。30年近くに渡りたくさんの名作ジャケットを手掛けてきた信藤三雄だが「今までやってきたことの先に、まだ高みがあるのがわかった」と語る。

初めて会った松任谷正隆さんの言葉は「信藤さんのデザインは極めてデジタルに近いアナログですね」だった

-- 信藤さんがジャケットのデザインを手掛けるようになったいきさつから聞かせてください。信藤さんのデザインを見ていると、すごく音楽が好きな方がデザイナーになったんだろうなと感じるのですが。

 僕はスクーターズというバンドをやっていて、元々はミュージシャンになりたかった人なんです。今でもその思いは消えてませんね(笑)。

-- では、何かしら音楽に関わる仕事をやっていこうと思ってデザイナーになったんですか?

 ううん。若い頃はデザイン会社に勤めていたんですけど、なかなか音楽のデザインをする仕事には巡り会えなくて、主に広告のデザインをやっていましたね。

-- 最初からジャケットのデザインをされてたわけじゃないんですね。

 細かい話をすると、デザイナーとしての出発点となった会社は、レコードの帯や歌詞カードをデザインしているところでした。ソニーの仕事が多くて、サイモン&ガーファンクルのレコードの帯とかを作ったなぁ。それくらいのことでも音楽に関われている充実感はありましたけどね。でも、ジャケットのデザインをやりたいという気持ちはあったけど、実際には夢みたいな話。周囲にそういうデザインを依頼してくれる人もいなかかったし。

-- では、どういうきっかけでジャケットデザインの依頼がくるようになったんですか?

 広告デザインを主にやっていた会社を辞めて、30歳くらいの時に独立したんです。コンテムポラリー・プロダクションを起こす前のことです。まあ、独立したといっても会社を辞めてぶらぶらしているような状態だったんですが、そのうちに依頼が来たと。独立してから随分経った頃の話で、もう35歳くらいになっていました。

-- 信藤さんが最初に手掛けたジャケットのデザインは、1984年のユーミン(松任谷由実)のシングル『VOYAGER 〜日付のない墓標』。いきなりすごいアーティストからの依頼です。何か繋がりがあったんですか?

 僕のことを湯村輝彦さんが可愛がってくれていたんですけど、湯村輝彦さんのアシスタントをしていた人がカメラマンになって、ユーミンの写真を撮るようになっていたんです。そのカメラマンがユーミンに「誰か面白いデザイナーはいないの」って聞かれた時に、僕を推薦してくれたそうです。

-- なるほど。きっかけは湯村さんとのお付き合いだったんですね。

 そう。突然、雲母社(きららしゃ)というところから電話があって「雲母社って何だろう」って思ったらユーミンの事務所だった。渋谷にある東武ホテルのカフェまで打ち合わせに行ったら、本当にユーミンがいてびっくりしました(笑)。ユーミンは憧れの存在でしたから。

-- それはびっくりしますよね(笑)。当時の信藤さんはジャケットのデザインでは実績のない頃ですが、その場ですぐに「やりましょう」ということになったんですか。ユーミンからデザインに関する具体的な話があったとか。

 いや、東武ホテルでは顔合わせだけ。僕はできるならもちろん、やりたいという気持ちでした。今だと、ユーミンがデザイナーを選ぶとしたら、何人かの候補の中から誰かに決めるじゃないですか。でもあの頃は、たぶんそういうことがない時代だった。不思議なことに。
 その後で旦那さんの松任谷正隆さんに会って、デザインのイメージの話をしました。ユーミンのジャケットの打ち合わせをするのは正隆さんなんです。その席では正隆さんに「信藤さんは松本隆さんに似てますね」って言われたなぁ(笑)。

-- へー。信藤さんのどういうところが似ていたんでしょうね。

 わからない。線が細い感じが似てたんじゃないかなぁ。今の僕は違うかもしれないけど(笑)。

-- 信藤さんは『VOYAGE 〜日付のない墓標』以降、ユーミンのジャケットをたくさん手掛けていますが、松任谷正隆さんとクリエイティブなところで通じるものがあったんでしょうね。

 正隆さんはかなり芸術的な才能がある方なんです。なかなか大変ですが(笑)。それに人の本質を見抜くところがあって、最初に会った時に僕のデザインについて「極めてデジタルに近いアナログですね」って言ってました。他にも「アメリカ経由のヨーロパ的なものですね」とか。「なるほど、上手いことを言うなぁ」って思いましたね。それに「信藤さんデザインには品がある。それが僕は好きだ」とも言ってくれましたね。

-- デジタルに近いアナログという松任谷正隆さんが抱いた印象は、信藤さんのデザインが次に来るグラフィックの世界、アナログからデジタルに移り変わっていく時代を先取りしていたからだったんでしょうか?

 それはどうだろう……。ノスタルジックなデザインに惹かれていたのは確かですけど。僕はそういうものがずっと好きなんです。

-- ノスタルジックと言えば、信藤さんのデザインからは“今ここにない風景だけど、どこかで見たことのあるような風景“が感じられます。既視感のようなものがあるなぁって。

 ああ、そうかもしれないですね。ただ、僕は見たことのない風景を作ろうとは思っていないかも。自分の中にある昔見た風景とか、昔見た誰かの写真とか、そういった自分がどこかで見たような風景やものを追い求め、再現しようとしているのです。

-- ユーミンとの出会いは大きな転機だったと思いますが、ユーミンのジャケットを手掛けるようになった2年後の1986年に、信藤さんはコンテムポラリー・プロダクションを設立されますよね。

 ええ。ちょうどピチカート・ファイヴのデザインを始めた頃のことです。

-- 信藤さんが最初に手掛けたピチカート・ファイヴのジャケットは1986年の『イン・アクション』。彼らが解散するまで信藤さんと小西(康陽)さんのコンビが見せてくれた音のビジュアル化にはすごく興奮しました。1989年の『女王陛下のピチカート・ファイヴ』では世界で初めて透明なディスクトレイをデザイン的に使ったり、1990年の『月面軟着陸』では小さいブックレットを作ったり。今でこそ、当たり前の手法になっていますが、当時は見たことのないCDのデザインでした。お二人の出会いは、小西さんが信藤さんを尋ねてやって来たところから始まってるんですよね。

 小西君は僕がやっていたスクーターズのファンだったんですよ。だから「スクーターズのリーダーがデザインするんだったら任せられる」と思ったんでしょうね。実際に会ってみたら、こんなにセンスが近い人がこの世にいるんだってびっくりしました。ものすごく近所に住んでることもわかりましたし(笑)。

-- 奇跡のような出会いですよね。お二人の出会いから渋谷系も生まれたわけですし。

 ええ。僕と小西君の出会いにはマジックがあったと思うなぁ。それに小西君は「日本のバンドで好きなのはプラスティックスとスクーターズだ」って言ってくれたんです。実はスクーターズをやっていた頃、僕はプラスティックスになりたかった。R&Bやオールディーズが好きな若い子達がやっているバンドだって周りには見られていたけど「ああいうお洒落なことをやりたい」って思ってました(笑)。だから小西君に会った時、そこまで見抜いている人がいたことがすごく嬉しかった。