MJG2011 展示 連動企画 CD JACKET DESIGN in JAPAN special long interview
木村豊(Central67)
レコードジャケットのデザインは 他のデザインと比べて自由に見えた
木村豊はスピッツ、椎名林檎、東京事変、SUPERCAR、木村カエラ、ユニコーン、Superfly、七尾旅人、フィッシュマンズなどのジャケットを多数手掛けてきた名うてのアート・ディレクター。
“女の子シリーズ”として知られる一連のスピッツのジャケットデザインや、ベンツをまっぷたつにするなど、ハッとさせられる驚きと遊び心が交錯する椎名林檎のジャケットデザインなどで、CDジャケットの世界に次のステップをもたらしてきた。また、物語性が豊かなパッケージデザインでも高く評価され、アーティストからもリスナーからも絶大な支持を集めている人物だ。
ここでは音楽への思いを込めながら、アート・ディレクターとしてのヒストリー、制作手法、アーティストとの関わり方、ジャケットの持つ魅力等を語ってもらった。
木村豊(Central67)
PROFILE
木村豊
1967年、東京都生まれ。アート・ディレクター。CBSソニーのデザイン部などを経て、1995年にCentral67を設立。
スピッツ、椎名林檎、東京事変、SUPERCAR、木村カエラ、Chara、PUFFY、ユニコーン、Superfly、七尾旅人、ふくろうず、フィッシュマンズなど多くのアーティストのジャケットのデザインを手掛けている。
映像では、スピッツの「メモリーズ」「遥か」、椎名林檎の「本能」「旬」、ふくろうずの「砂漠の流刑地」などのPVも手掛けている。
作品集に「脳内TRANSPOSE Central67 Works」(2002年)がある。
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インタビュー・構成:山本 貴政 (Coa Records) / 撮影:本多元
Y.M.O.のジャケットに影響されデザイナーを志した木村豊。CBSソニーのバイト時代、アート・ディレクターとしての出発点となったD.D.を経て、1995年にCentral67を設立。転機となる出会いをもたらしたスピッツの『ハチミツ』が「ストーリーを展開するデザインの仕方に気付くきっかけだった」と語る。
ジャケットのデザインを意識したのは中学生の時。初めてアート・ディレクターとして手掛けた作品はフィッシュマンズの『Neo Yankees’Holiday』だった
-- まず、デザイナーになる前のことから伺いたいのですが、木村さんは元々Y.M.O.が好きだったんですよね。
そうですね。ちょうど中学生の頃にY.M.O.にはまりました。
-- できればミュージシャンになろうと思っていたんですか?
どちらかというとその頃からデザインに興味がありましたね。Y.M.O.って変なジャケットが多かったじゃないですか。だから意識するようになって。その時に初めて、デザイナーという存在を知ったんです。
でも、どういう仕事なのかはよくわかっていませんでした。デザイナーの名前をチェックするというレベルでもなかったし。Y.M.O.のデザインをやっていた羽良多平吉さんの名前を知ったのも、随分後になってからのこと。「ああ、同じ人がやってたんだ」って。
-- 羽良多平吉さんはジャケットのデザイン以外にも、グラフィック・デザイナーとして書籍や雑誌のエディトリアル・デザインなども手掛けていました。木村さんの興味の対象はジャケット以外にも向いていたんですか?
いや、その頃からジャケットのデザインをしたいという思いが強かったです。
-- 学生時代に、Y.M.O.以外で好きだったジャケットのデザインは?
他は洋楽のジャケットが多かった。1番、目に入っていたのはヒプノシス。高校生になってからのことですが。
-- ヒプノシスは、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、10cc、E.L.O.といった1970年代のイギリスのロックのジャケットをたくさん手掛けているイギリスのデザイングループ。高校生の木村さんが1980年代中頃にリアルタイムで聴いていたものよりも、ちょっと前の時代のジャケットです。
ええ。リアルタイムで聴いていた音楽のジャケットには、そんなにいいものがなかったですね。
-- そして、高校を卒業した後に日本デザイナー学院に進んで、それからCBSソニーに入社されると。
はい。CBSソニーにジャケットのデザインをするのがメインの部署があったんですよ。そこにバイトとして入りました。求人情報誌を見て。当時はパソコンがなかったから版下を作らないといけなかったし、アシスタントだから何でもやらされましたけど、すごく勉強になりましたね。
-- その頃はCDが普及してきた頃でしたよね。
ちょうどアナログ盤からCDに入れ替わる頃。だからアナログ盤もカセットもCDも全部作ってました。そういう時期が一瞬ですけど、ありましたね。
-- 木村さんはユニコーン関連のイラストを描いていたことでも知られています。このCBSソニー時代がきっかけだったんですか?
そうですね。たまたま同じ部署の上司がユニコーンの担当だったんです。その人から「ツアーパンフを作るんだけど、イラストを描いてみないか」って言われて、描いてみたら気に入られたと。イラストで食べていこうと思っていたわけじゃないんですが。
ユニコーンに関しては、その頃はイラストだけ。デザインはしていませんでした。(奥田)民生さんに会ったこともなかったですし。だからユニコーンが再結成する時に、まさかデザインをすることになるとは思ってもいませんでしたね。すごい偶然(笑)。
-- 今みたいに最初からパソコンがあって、グラフィック系のソフトが揃っていたら、なんとなくそこそこのデザインが作れたような気になってしまうじゃないですか。でも、木村さんみたいにパソコンが普及してなかった時代に、あれもこれも手作業でやってきた経験は……
そうとう役に立ってますよ。
-- その後、木村さんはCBSソニーを辞めて独立。やっぱり1人でやる方が性に合ってたんですか?
いや、そのあたりの話は紆余曲折があって。CBSソニーはクビになったんです(笑)。
-- えっ、そうだったんですね(笑)。
普通、バイトは入ってから1年後に正社員になれるはずなんですけど、何故か僕だけクビになって。同僚のバイトはみんな正社員になったのに。
-- 思い当たるフシは?
ぜんぜんないんですけど(笑)。まぁ、扱いづらかったのかもしれません。だから、ソニーを辞めた直後に少しの間、1人でやっていたんです。ソニーから仕事をもらえていたので。独立っていうほど大げさな話じゃないですよ。
-- クビになったけど仕事は依頼してくれたんですね。
ええ。その後、音楽もののデザインをメインでやっている事務所にいました。1年間くらい。そうしていたら、ちょうどソニーにいた人がD.D.というデザイン事務所を作って独立したので、僕も入れてもらったんです。D.D.にはけっこう長い間いましたね。5年程いたんじゃないでしょうか。
D.D.は社長の他にデザイナーが3人いる事務所だったんですけど、間借りでコピーライターの人がいたり、小田島等君がいたり、いろんな人が出入りしているところでした。
-- 大きな会社だとクリエイティブなことをやりつつも、どうしても会社事情でサラリーマン的な判断をしないといけない時もあります。1人なり、少人数の独立系の事務所だと、むしろデザインをしやすくなったんじゃないですか?
でも、その頃のソニーそんなにガチガチした会社じゃなかったから「辞めてやる」っていうような気持ちはなかったんですよね。景気も良かったし、割と何でも好きにやらせてくれる社風もあったし。
-- じゃあ、そのまま正社員になるつもりだったと。
そうですね。
-- でも、木村さんからはD.I.Y.な独立系の匂いがするので、大きな会社じゃない方が性に合っていたんじゃないかなと思いまして。
ああ、どっちみち辞めていたとは思います。正社員になれていたとしても、数年後には。でも、もう少しいても良かったかなと(笑)。
-- 考えていたよりも早く辞めざるを得なくなったと(笑)。
そう(笑)。
-- D.D.にいる時は、デザインをするにあたって意識が変わりましたか?
1人で任せてもらえるようになっていたので、その点は、明らかにバイトの時とは意識が違いました。D.D.にいる頃に、アート・ディレクターとして完全に最初から最後まで1人でやった初めてのデザインは、フィッシュマンズの『Neo Yankees’ Holiday』でしたね。